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0日目 プロローグ

 今回の旅行では九州一周を目的としていたが、前準備がろくに出来ておらず、直前まで池田、君島、八木、宇田川、私といったメンバーで、鹿児島の宇田川宅でどんちゃん騒ぎをしており、旅行の初日は正直言ってあまり乗り気ではなかった上、一周する自信もなかった。その初日ではタイヤはおもいっきしパンクするし、ちょっとした上り坂で貧血でぶったおれそうになるなど、それまでの生活リズムがあまりに悪かったせいか、気持ちよく走れなかった。しかし、旅の途中で、人様の家に泊めてもらったり、海や川で遊んだり、滝の滑り台を滑ったりと、普段経験できない楽しみを味わうことが出来て、本当にやって良かったと思っている。

 残念なことは、九州は一度しか来たことがないし、地名もわからないところが多いので、進んで旅のメモを取ることもなく、写真もあまり取らなかった。ただ、京都の時と比べて、けた違いにきつかったのは確かだし、写真を撮るほどの気持ちの余裕がなかったのも、事実だ。どのくらい大変かというと、峠の数は数えられないほど有ったし、かかった日にちも12日、走行距離も1000kmを越えたのである。(ちなみに京都旅行の時は実質9日、700kmであった。)初めて完璧な野宿もしたし。

 また、気候については、8月の九州ということで確かにものすごく暑いのだが、それは気持ちのよい暑さであった。ジメッとした汗は好きな方だし、サイクリングを必死にやっていることが、嫌と言うほど、実感できる瞬間なのだ。それから雨にもやられることが多かった。雨が降ったら、無理せずに休んだが、あの雨も今思うといい思い出であった。当時はめちゃくちゃ不機嫌になったけど。  また、宇田川は自転車の知識も私などよりよっぽど多く持っているし、根がしっかり者なので、いろいろお世話になった。それでも、たまに挙動不審になり、落ちつきがなくなることもあったが。うれしいことに今回も私は大きなけがはなかった。(宇田川は思いっきりぶっこけたが、まぁ、彼にとっては良い勲章であろう。)  しかし、都城で時計を盗まれたのはかなりブルーであった。宇田川がこけたのも宮崎だし、財布を一時紛失したのも宮崎だし、お湯の出ない温泉宿に泊まったのも宮崎である。どうもいい思い出がない。シーガイアにいくのも楽しみにしてたのに結局いけなかった。  

 また、この旅で持ってきて大成功であったのは、海水パンツとビーチサンダルである、海水パンツはいいとして、ビーチサンダルは、海だけでなく、宿についた後に、汗まみれのシューズをはかなくてすむので助かった。逆に落ち着いて考えると持ってくる必要はないのでは、というアイテムはずばり水筒である。なぜなら、日本には自動販売機やコンビニがいたるところにあり、飲み水に困ることが無いからである。ただ、怪我をしたときや、熱射病になったときなどを考えると、やはり一つは水筒も必要であろうか。それでも、私のように二つも用意することはなかった。 それから、九州には温泉がたくさんあり、改めて温泉のすばらしさを知ることができた。京都旅行が海沿いを中心に市街を進んだのに比べて、今回は海沿いは海沿いなのだが、山の景色が印象的で、道も起伏も激しかった。  最終日に時速65kmという殺人的なスピードを記録したが、その後宇田川にバーストの話を聞いて急に恐くなった。そのスピードでこけたらノーヘルでバイクで転倒するのと同じ事になる。しかも、宇田川の華麗な転倒を見ているだけになおさら恐くなった。もう、あんなスピードに挑戦することはないであろう。ただでさえ、チェーンがはずれまくったし。その時も宇田川がいなかったら、私一人でチェーンを直すことは出来なかっただろう。  

 旅の途中で、関村に出会ったことも印象的だ。彼が芸工大に行った時点でさすがに遊びにいくことはないなと思っていたのに、まさか、自転車で行くとは思わなかった。しかし、あそこまで部屋が汚いとは。当時を振り返って、改めて感動することは門司から、本州、山口を見た時であろう。本当に夜景が綺麗であった。門司は港町情緒あふれるすばらしい町並みが保存されており、海沿いを走る線路も景色に溶け込んでおりロマンチックな雰囲気を醸し出す。  また、直接関係ないことであるが、宿などで結構テレビを見たし、新聞も見たので、いろいろ情報は入った。その中で二人がともに注目したのは野球である。8月の終わりという事もあり、いよいよペナントレースが盛り上がる頃である。私が中日ファン、宇田川が巨人ファンということもあって、かなり盛り上がっていた。この時は中日は絶好調だったし、巨人もそろそろ上り調子になってきた頃で、二人とも気分は良かった。

 今、手元の九州の地図を眺めている。九州も結構でかい。よくこれを一周したな。門司で終わらせなくて良かった。よくよく思えば、本当に旅行を楽しみ始めたのが、門司を過ぎて南へ折り返してからである。門司という地名はいままで知ってはいたが、いまひとつ読み方がはっきりしなかったし、特別な思いはなかった。ただ、今回の旅行で、門司という町にひかれたし、行きは「門司まで??km」、帰りも「門司から??km」という表示が、少なくとも国道上には1km毎に出ていたので、この地名に感慨深くなるのも当然か。帰り道は??が100になり、200になり、300になるにつれ、もう少しでこのたびは終わってしまうのかと寂しくなることもあった。  一つだけ、心残りなのは、長崎県に入ることが出来なかったことである。八代や宇土の周辺からフェリーで島原に行けたのであるが、その後の道のりを考えて断念してしまった。もう少し、日程に余裕が有れば、少々遠回りしても良かったのだが。同じように、佐多岬にも行きたかったし、門司から本州に上陸すれば良かったと思う。しかし、今になってそのようなことを言っても仕方ないし、疲れ切った体で、九州一周を走り通した自分をほめて上げたい。  1996年は1995年に負けないほど、熱い夏であった。

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