6時30分に起床した。(イケモンは7時)この日も飯前に少しは走ろうということで、さっそく自転車をまたいだ。この朝はいつもと違った。なにか嫌な予感がした。焼津には10時に着いた。その時首に巻いたバンダナがなくなっていることに気付い た。さらに、魚の町焼津に着く前に恐ろしい経験をしていた。おそらく、危険度ではこの旅最大のものであっただろう。それは新日本坂トンネルのなかでおこった。日本坂トンネルといえば、あの7人(確か)の死者を出した惨事の起こった呪われた場所である。新日本坂トンネルとはそれと平行に走る日本坂トンネルの国道版である。距離は2kmを超える。トンネルを自転車で通るということがどういうことかは、実際に経験したものでないとわからないであろう。トンネルが長ければ長いほど、それは車のためだけにあるといっても良い。自転車は、本当に自転車用の道かと迷うような細い道を通り、横は100kmをこえる車が駆け抜け、しかもトンネル内というものは本当に暗い。とくに、出口の見えないトンネルでは、横を通る車のヘッドライトで、先の障害物を探さなくてはならない。それほど恐ろしいトンネルである。そこで、その危機というものが起きた。
それは、トンネルを半分より少しすぎた頃であろうか、「がんっ!!」鈍い音がした瞬間すねに激痛が走り、自転車が一瞬宙に浮いた。しばらく唖然としていたが、ふと我に返ったときは、早くこのトンネルを超えねば!という恐怖に駆られ、自転車をこぐ足に必要以上の力を入れていた。ハンドルは、手が赤くなるほどに強く握られ、額からは、脂汗が浮かぶのがわかった。ようやく前方に、外の明かりが見えてきたとき全身の力が抜けるような気がした、それと同時に、ようやくここからでれたという安心感に高鳴る胸を押さえられなかった。 今推測すると、あのときおそらく俺はなにか鉄パイプか鉄板のようなものを踏んでしまったのだろう。よく自転車がパンクしなかったものだ。それはともかく、転ばなくて本当に良かった。すぐ1m横は100kmを超える自動車が走っている・・・さらに鉄板が、車の方に飛ばなくて良かった。あれが車に当たったら、大惨事だ。
いくつもの奇跡に支えられ、俺はあの悪魔のトンネルを乗り切った。 焼津に着いた後は、朝飯を食うところを探していた。ようやく「ガスト」を見つけたが、開店15分前であった。俺は15分まとうと思ったが、イケモンがこの先にもあるよ、といったので、それを信じたので、「ガスト」を後にしたが、大井川を超えても見つからない。俺のイライラは最大限に高まった。イケモン責任とれ!そうしているうちに、俺は家に電話をした。 電話口で、俺のおじいちゃんが亡くなったと言った。実はこの旅の前から具合は良くなかったのだが・・・トンネルで事故を起こさなかったのは、じいさんのおかげだったと今も思っている。とりあえず、東京に帰ることにした。ただ、ここまできたら、じいさんのためにも意地でも京都まで行ってやるという決意は確かなものになっていた。 とにかく俺たちは東京に戻った。ここで、この旅に5日間の穴があくことになる。